四角い時計を丸くおさめる

四角い時計を丸くおさめる

ウェアラブルデバイスは、時計を意識するのをそろそろやめたほうがいいんじゃないか。誇らしげに豪華絢爛なウォッチフェイスを模した画面を持つ製品が少なくないようだが、それを見るたびに、どうがんばっても、ホンモノの時計には勝てないのにと思ってしまう。同じ方向を目指すのは間違っていると言ってもいい。

Apple Watchが割り切っているなと感心するのは、それが四角い盤面を持つところだ。彼らがどう考えて四角い盤面を選んだのかは知る由もないが、そこには時計の再発明という志が感じられる。ただ時間を知るためだけではなく、暮らしに必要なあらゆる情報が手首に届き、手首を返すだけでスマートにその概要を知ることができ、さらには、その情報に対してアクションを起こすことができる。そこには決して時計ではない何かだと主張する要素が込められている。

四角い時計を丸くおさめる

Android Wearにおいては、丸派と角派の二手に分かれ、どちらかというと丸派が優勢のようで、角派はソニーとASUSだけだ。最初は角型でデビューしたLG機も、今は丸型のみを提供する。このあたり、思想の違いのようなものが感じられて興味深い。

ただ、Apple Watchが時計であることを捨てているなと思うのは、どんなときにも時刻を知らせるという時計にとってもっとも重要なミッションを守り切れていないからだ。省電力のために画面表示を消してしまっては、腕から外して傍らに置いた状態で時刻を知ることができない。それでは時計としての使命を捨てているんじゃないか。だったら、Watchを名乗るべきではないし、iPhoneの画面の延長として別のデバイスを主張すればいいのになとも思う。

そしてHuawei Watchである。今のところ最新のAndroid Wearデバイスだ。当然、常時点灯が可能だ。さすがに炎天下ではちょっと見にくい。そして、丸型の盤面のものしか用意されていない。やはり時計を意識しているのだと思う。

初代のAndroid Wearは、2014年6月のGoogle I/Oで発表され、追って3社から発売された。初代は、角形のLG Electronics製「G Watch」とSamsung Electronics製「Gear Live」、そして丸形のMotorola製「MOTO 360」だ。ぼくは、その中からLG機を選んで1年以上運用し、今も現役で使っている。情報表示には四角い盤面の方が有利だと思ったこと、そして、同じ角型だったSamsung機は専用ベルトの質感が気に入らなかったからだ。

丸いHuawei Watchをこの1週間ほど着けて毎日を過ごしてみたが、その考えは変わらなかった。丸では情報表示に無理があるのだ。やはり、四角の方が合理的だ。合理性がどれほど意味を持つのだろうという気持ちも分からないではない。やはり手首にずっと着けているデバイスは丸型であってほしいというこだわりも尊重しなければならないのだろう。